【🔥近隣情報】勝海舟がのこしたもの
勝海舟が残したもの🚢
こんにちは
あっという間に11月になり今年も残り僅かになってきましたね
だんだん一年があっという間に感じる年齢になってきました💦笑
今回は前回の投稿にも登場した洗足池のもう一つの楽しみ方をご紹介いたします。
洗足池はスワンボートや野鳥、樹木など様々な楽しみ方がある公園ですが
実は洗足池の裏には 歴史上の人物として有名な【勝海舟】の記念館と墓地があります。
そこには勝海舟の書簡や印章、礼服などが展示されており
一階では勝海舟の一生を実物資料やパネルから知ることができるんです!
勝海舟の別荘が洗足池にあったことから記念館が建てられました。
勝海舟記念館 – 大田区公式観光サイト (ota-tokyo.com)
記念館のそばには 勝海舟と奥さんのお墓もたてられています。
勝海舟はみなさんご存じかと思いますが軽く紹介させていただきます。
(ウィキペディアより抜粋)
勝海舟は東京都墨田区に生まれ幼少期は大変貧しい家庭で育ちました
父親は自由奔放な性格で剣の腕前は一流でしたが喧嘩ばかりしていたそうです。
勝海の父親の生涯を記した本がでるほど自由奔放な性格だったようで
気になる方は『夢酔独言』で調べてみてください
『夢酔独言』(勝 小吉,勝部 真長):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp)
そんな勝海舟に転機がやってきたのは黒船来航でした。
この前代未聞の大事件を目の当たりにした幕府は、身分にかかわらず海防に対する意見を広く募集したのです。
そこで提出した意見書が当時の老中首座・阿部正弘に認められ、出世への足掛かりとなりました。
その後、江戸幕府が設立した長崎海軍伝習所の一期生に加わり、蒸気船の操業技術を学びます。
そして日米修好通商条約を批准する幕臣たちを乗せた船
「咸臨丸」を操縦し太平洋を横断しました。これは日本人初の偉業です。
その後も明治維新の立役者の一人でもあり、新政府にも出仕し
晩年まで徳川家への忠誠心を忘れなかった人物です。
勝海舟はどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】 | 歴史上の人物.com (colorfl.net)より
勝海舟の最後の言葉は 「これでおしまい」だったそうです。
調べ始めると歴史って止まらないですよね💦
勝海舟は様々な名言も残しています。私が気に入った1つの名言だけ残して
今回のブログにしようと思います。
【 行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず 】
行いは自分のもの、批評は他人のもの。私が知ったことではない という意味です。
何かを実行しようとする者は、雑音に耳を貸すことなく己を信じて実行あるのみ――。
そんな切れ味のある勝海舟の思想が溢れる言葉です。🌟
11月も頑張っていきましょう☺
関連
- カテゴリー
- お知らせ